最近、曼荼羅アートに関心を持ち始めたIYNスタッフ松澤です。
「マンダラ」とは、サンスクリット語で「丸いもの」を指す言葉で、曼荼羅は密教の世界観を「円」を用いて表現したもの仏教における曼荼羅と、今日における曼荼羅アートは必ずしも同一ではありません。
しかし「円」という図形の、始まりと終わりが融合された、もしくは開始点も終着点も存在しない神秘的なその形状に、宇宙的な広がりを感じるマインド・・・これは時代や宗教・宗派に関わらず通ずるものかと思います。
心理学者ユングが曼荼羅をセラピーの一環として取り入れたのも、納得:四葉のクローバー:
古来、絹布に顔料で描かれてきた曼荼羅ですが、「曼荼羅アート」は幅広い画材で描かれています。
ペンや色鉛筆、、水彩絵の具などなど何でもありですが、パステルもよく用いられているようですね。
パステルの歴史を辿ると、これまた紀元前まで遡る事が出来る由緒ある画材です。デッサンの道具から始まり、作品のメイン画材へと昇進するのは近代、それも18世紀に入ってからでしょうか。華やかりしロココの時代には、パステルを駆使して油絵並みの重厚な肖像画も描かれました。
時代は下り19世紀、印象派の巨匠の一人であるエドガー・ドガもパステルを使って素晴らしい作品をたくさん生み出しました。彼の「踊り子」たちは、今も世界中の人々の心を魅了し続けていますね。
ところで、彼はなぜパステルを用いたのか。実はドガは晩年病で視力が徐々に失われていきます。「これ」と思う色をすぐに手に取って描画できるパステルは、ハンデを負ったドガの制作を大いに助けたことでしょう。
戸外で明るい光を浴びながら制作をした他の印象派の画家たちとは対照的に、ドガの制作は非常に内向的でありました。その制作スタイルは、現代の多くの作家達と近いかもしれませんね。
ところで曼荼羅に話を戻しますと、室内に籠もり黙々と制作をする老ドガの姿を思い浮かべる時、ふとまた別のビジョンが脳裏に浮かび上がります。
それは、奈良・当麻寺に伝わる当麻曼荼羅を一晩で織り上げたという伝説が残る「中将姫」※の姿です。信心深い彼女は、御仏の導きでお堂に籠もり曼荼羅を仕上げたそうですが、その深い精神性と、孤高に作品に向き合うドガの姿が重なるような気がするのです。コロナ禍によって、自宅で過ごす「おうち時間」が見直されていますが、ドガや中将姫のように黙々と作品と向き合ってみるのも良いかもしれませんね。
中将姫の伝説をもとに、折口信夫さんが執筆した「死者の書」という小説もあり、そこから川本喜八郎さんによる素晴らしい人形アニメーションも生まれました。
曼荼羅の創作で肩がこったら、次はのんびり読書やDVD鑑賞はいかがでしょう。
※今は昔、藤原鎌足の曽孫である藤原豊成には美しい姫があった。
後に中将姫と呼ばれるようになる、この美しく聡明な姫は、
幼い時に実の母を亡くし、意地悪な継母に育てられた。
中将姫はこの継母から執拗ないじめを受け、ついには無実の罪で殺されかける。
ところが、姫の殺害を命じられていた藤原豊成家の従者は、
極楽往生を願い一心に読経する姫の姿を見て、
どうしても刀を振り下ろすことができず、
姫を「ひばり山」というところに置き去りにしてきた。
その後、改心した父・豊成と再会した中将姫はいったんは都に戻るものの、
やがて當麻寺で出家し、ひたすら極楽往生を願うのであった。
姫が五色の蓮糸を用い、一夜にして織り上げたのが、名高い「当麻曼荼羅」である。
姫が蓮の茎から取った糸を井戸に浸すと、たちまち五色に染め上がった。
當麻寺の近くの石光寺に残る「染の井」がその井戸である。姫が29歳の時、
生身の阿弥陀仏と二十五菩薩が現れ、姫は西方極楽浄土へと旅立ったのであった。
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