《前原弥山 経歴》
・1998年広島県に生まれる。 幼少期から絵を描き続けているが、いじめを受け中2で保健室登校になる。同時期に占星術を学ぶ。
・高校時代に恩師と出会い外部と関わりを持つようになる。
弓道部に入り和歌山国体で優勝する。
・卒業後、家具メーカーに勤務する傍ら、公募展や企画展に応募する。
・現在「絵描き占い師」として独立して、広島県内の各種イベントに出演する。
・主な出展経歴……「死神と薔薇」(galleryIYN) /「Art planet vol.2」/「第68回書画公募展」(広島県立美術館) /「チューリップ畑で絵を描こう!コンテスト2021」(世羅高原農場)
神の島、宮島。
島を見守る霊山の名前を冠した絵描き占い師、前原弥山。
彼女の活動はとても神秘的だ。
おもに地元・広島のバーで、酒杯を傾ける人々の手相を読み、悩める心にそっと光を投げかける。
筆ペンを握れば、紙上に生命力に満ちた溢れた絵画が生み出される。
彼女は言う。
「あらゆるものは、良い面と悪い面、“陰と陽”の両方を抱えて存在している」と。
複雑な家庭環境に育ったという前原は「絵の中にしか逃げることができなかった」と幼少期を振り返る。
無心に手を動かすその瞬間だけが、苦しさを忘れられるひとときだった。
中学ではいじめを受け、恐怖から教室へ入る事ができなくなってしまう。
中学時代の大半を保健室で過ごした彼女は、保健室に置かれていた手相占いの書籍に興味を持った。
夢中になって読みふけり、そこから得た手相の知識は大きな自信に繋がる。
3年生で教室復帰を果たした彼女はクラスで一目置かれる存在となり、いじめも起きなくなった。
この体験がなければ、「占い師・前原弥山」は存在しえなかっただろう。
それだけではない。
「手の皺には、その人がやってきた善いこと、悪いこと、全てがそのまま現れる」
手相学は、前原の人生観や、後の創作コンセプトにも繋がっているのだ。
前原の次なる転機は、高校に上がった春。
担任教諭との出会いが、彼女の人生を大きく変えた。
コンピューターグラフィックスを専門とする教諭は、前原の絵にアドバイスをしたり、ロードバイクでサイクリングに連れ出してくれたりと、学業以外でも多くの時間を共に過ごしてくれた。
次第に前原は、積極的に外の世界と関わりを持つようになる。
描いた絵を周囲に見せてみたところ、作品を前に涙を流したり、何かを感じ取った様子の人もあった。
「自分の絵で、人に何かを与えることができる」
そう感じた前原は表現者として生きていこうと決意する。
また、部活動では弓道に打ち込んだ。
そこで学んだ「光陰矢の如し」という弓道の心得から、前原は“陰と陽”を強く意識するようになる。
「人生には良いことも、悪いこともある。
一瞬のような人生の中で、どれだけの光と陰を描けるのだろう」
それが前原の作品に込められた問いかけであり、今まで続く活動の原点の一つである。
翳りを帯びていた中学生までの日々と、恩師との出会いから光が見えた始めた高校時代。
陰陽が合わさって、前原弥山というアーティストが形成されている。
彼女の描く様々なモチーフから感じられる力強さと存在感は、一面的に物事を捉えないその思想から生じているに違いない。
長年筆ペンの特質を生かしたモノクロ作品を描いてきた彼女だが、最近は小松美羽の絵画作品に影響を受け、彩色も施すようになったという。
差し色が加わることによって、前原の作品は深みが増し、一層魅力的になっている。
OCEAN展vol.2では、海底のような深い青色を使った作品を披露する予定だ。
青は白と黒と同等に好きな色であり、「海底のような色調で鑑賞者の心を癒せたら」と前原は語る。
前原曰く、「陰」の中にも光はある。
少しだけ視点をずらして、光の筋を見つけること。
それができたなら、突破口はすぐそこにある。
(執筆者:守屋 監修:大石 )
会期:2023年9月15日(金)~9月25日(日)
営業時間11:00~18:00
会場:Gallery IYN
大阪市北区中崎西1-8-24 アインズビル梅田101
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